はてなダイアリーもわりといろいろと改良を行っているらしい。
やっぱりネットの一番優れているところはリアルタイムでinteractive性が機能し得るところだと思う。
それは間断ない発展を可能にする。


文字という媒体に落とすことによって自分の方向性を認識できるかとも思ったので、
これから自分が聞いた音楽に関しては全て箇条書き的に記録していくことにした。
映画・読書に関しては特に思い立ったものだけにすることにしたが、
これはこの後者に関しては自分がある程度方向性=歴史を持っているためであり、
音楽に関しては自分は今カオス状態=無軌道・無方向性の中にいると思われたためである。


といいながらいきなり映画の話なのだが、
今、有楽町朝日ホールでやっているヴィスコンティ映画祭に通っている。
実は恥ずかしながらヴィスコンティはこれが初体験だった。
アントニオー二やらフェリーニやらイタリア映画にはわりとなじみが深かったのだが、
何故かヴィスコンティだけは見逃してしまっていた。ので、良い機会だったのでせっせと通っている。


今のところ「若者のすべて」「夏の嵐」「郵便配達は二度ベルを鳴らす」「ルードヴィヒ」「地獄に堕ちた勇者ども」と見てきたが、
巷でよく言われているように、たしかに初期の作品にはとてつもない緊張感が漂っている。
(この緊張は、おそらくはネオレアリズモという運動そのものにその根を持つのだろう)
それに比べると後期は映画として弛緩しきっている、との評価があるが、
そしてたしかにルードヴィヒのフィルムの停滞ぶりは見ていて少し辛く感じたが、
しかしどうして、「地獄に堕ちた勇者ども」では、たしかに停滞しているがその停滞がむしろ良い方向に向かっているように思われる。
停滞がむしろリズムを作り出し、この映画に特有の運動(停滞である運動)を作り出しているのだ。
途中の酒場の場面などは、もうほとんどアンゲロプロス的ともいえる凄さがある。
(「旅芸人の記録」より「地獄に堕ちた勇者ども」の方が時代的には先だから、アンゲロプロスはもしかしたらこの映画に端を得てその作風を獲得したのではないか、とも思われる)
これは「ルードヴィヒ」に対する評価も少し保留して考えなければいけないかもしれない。
今回の映画祭では後期の作品はあと「ベニスに死す」と「家族の肖像」を見に行こうと思っているので、
それらをすべて見通した後、何が見えてくるか、だろう。


ジョアン・ジルベルトに関してはまた次回。