久しぶりに

ゲームを買った。そしてクリアした。
なにかといえばもちろんMOTHER3なわけです。
そもそもゲーム自体も久しぶりだなぁと思いつつも、
失われた青春を取り戻すべくその直前にクロノトリガー(やり逃していた)
やってたりしたので、実は久しぶりでもなかったりするんだが、
しかしそのクロノトリガーの前はRPGなんて2年ぐらいやっていなかったわけで、
ゲームに熱中していた子供のころを懐かしむとともに、
生活だとか時間間隔だとかが変わっていることを痛感するのでした。


で、ネット上にあった蓮実重彦のワイズマンに関する講演の採録を見てて、
映画作家とは、その作品がビデオで撮られたかフィルムで撮られたかに関わらず、
『テレビジョンでない作品』を撮る作家のことだ」という言葉に、深く納得。
「テレビジョンは、無声期を経ていないから、はじめから言語を根幹に据えている。
 そこにおける映像はあくまでもつけたしでしかない。
 だからこそ、テレビジョンにおけるドキュメンタリー番組は、
 常にナレーションや字幕のようなものを必要とする。
 これはそもそもが非常に言語的な手法である。」
と。たしかにその通りであると思う。
だからこそ映画が目指すべきは「言語的でない」「言語の『意味』に頼らない」ものであるべきだ・・・と。


「私は確かにマルクス主義者ではある」
「もちろんそれはグルーチョの方だが」
最高ですね。