ジャジャンクー Q&A メモ

三峡は古来から山水画に描かれてきたような場所。そういう、自然の雰囲気を出すため
に、全体的にポスプロで緑色に着色してある。
男たちの挽歌を使ったのは、うつりゆく三峡の街の人々の雰囲気が、渡世の雰囲気によく
似ていると思ったから。
あの男の子はもともとは街の物売りか客引きか。ある日、「役者もできるから使ってく
れ」と言いにきたので「じゃあなにができる?」と聞いたら「歌が歌える」と。だから
歌ってもらった。
劇映画を取ろうと思ったのは…
この作品の前に十日間ドキュメンタリー映画を撮っていた。(そちらも完成して、
(「東」?)一緒にベネチアに出した)それから三日で脚本を書き上げ、劇映画をとりは
じめた。
そもそもは知り合いの画家が三峡の人々を絵に描こうとしていて、自分はそれにくっつい
ていった。そのうちに自分もその人々を撮りたくなって、ドキュメンタリーをとりはじめ
た。
最初ドキュメンタリーとして取ってて、撮り終えたあとに、出演者たちが煙草を一服しは
じめた。それを見て、「ああ、この人たちはこれからそれぞれの家、それぞれの生活に
帰っていくんだな」と感じた。
どんなに密着してドキュメンタリーを取ろうと思っても、やはり人々は本当にプライベー
トな部分というのは見せてくれない。だからその部分は劇映画で撮ろう、と思った。
建物はだいたい五日でひとつぐらいのペースで壊れていった。うつりかわってく街。
あの独特なモニュメントは移住記念のもの、しかし金がなくて未完成なまま放置されてい
て、それがこの街にあまりに不似合いだったのでロケットにして飛ばしたいと思った。
UFOは、最初はニュースに大々的にとりあげられてた三峡ね街が、だんだん人々に見向き
もされなくなっていって悲しかったので、宇宙人に来てもらいたかった。