ジャーマン・ロック

ジョアン・ジルベルトという人を見てまず思ったのは、
「この人は存在自体が『ボサノヴァ』なのだ」ということだった。
ジョアンという人はよく「ボサノヴァを作った男」と目されているけれど、
実はこの人は作曲はあまりしていなくて、(といってももちろん何曲かはあるのだけれど)
作曲の面でボサノヴァの勃興期を支えたのは紛れもなくアントニオ・カルロス・ジョビンであるわけである。
しかしそれでもジョアンがいなければ『ボサノヴァ』という運動は起こりえなかっただろう、と、
実に4時間に渡る演奏を聴いて感じた。
ジョアンの良さとは何か。それは『型』なのである。
フォームの揺るぎなさ。
彼の弾くギターからは、ありきたりのコードはほとんど聞こえてこない。
複雑怪奇に入り組んだ、そして変形・ディストーションされたコードがほとんどである。
しかしそれでいて彼の演奏には全く「ブレ」がない。
(たとえば一部のパンクなんかは、ディストーションそのものを目的として、その「ブレ」自体を、どれだけ揺らぐことができるか、
というのを音楽の骨盤にしていたように思うのだが、それとは全く別物だ、ということだ。)
だからこそ、そこには常に耳慣れない音が流れているのにもかかわらず、
聴衆は安心して彼の音楽に身体を委ねることが出来る。
そしてそのような「安定性」は、おそらくは彼のギター、ブラジル、そして音楽そのものに対する「愛」、
「信仰」から生まれ出でているのではないだろうか。
「信仰」が形を取って、「型」「フォーム」として現前したもの、それがジョアン・ジルベルトという男なのであり、
だからこそ彼の存在はそれ自体が「ボサノヴァ」だと言えるのだ。


1番目のCDに入っているベルクのソナタがとにかく素晴らしい。
無調−12音あたりの音楽の良さって俺はおそらくまだ理解しきっていなくて、
(ミュジック・セリエルまで行くと最近のエレクトロニカから逆行してだいぶ理解することができるのだけれど、
そしてバロック−古典派−ロマン派、それと印象派は昔よく聞いてたこともあってちゃんと良さがわかるのだけれど、)
でもじわじわと良さが伝わりつつある。
ベルクには後期ロマン派の語法がまだ強く残ってはいるけれど、
同じCDに入っているシェーンベルクソナタもやっぱり良く聴けてきて、
だいぶ耳がこなれてきたらしい。


しかし、こうして書いてみると、やはり自分にはまだ「音楽」を「歴史」として持てていないな、と痛感する。
映画や小説とかだと、やっぱりそれなりの時間をかけて色々なものを読んだり見たりしてきたし、
その「歴史」「経験」を基にして、それを一種のパースペクティブに変換して、
自分の中に一定の基準を持つことが出来るのだけれど、
(そしてだからこそ映画や小説に関しては「何か」を語ることが可能なのだけれど、)
いまだ音楽に関しては自分の中に基準点を持てていない。
こういうときに問題になるのは理論ではなく経験である。
両者は最終的には渾然一体となって分かちがたくあるべきだと思うが、
しかしはじめの地点では、信仰は経験によってしか裏打ちされ得ないのではないか。