今日

も今日とて映画を見る。


マノエル・デ・オリヴェイラの作品がTSUTAYAにあるのをはじめて見つけたので、
即借りてきて見る。
『家路』。
オリヴェイラの名は前から知っていたが、まだ一般的知名度が高くないのか
(一部の映画好きの間ではもはや常識の部類なのだが)
レンタルビデオで見つけることが出来ず、
4月にロードショーでやっていた『永遠の語らい』も情報に気づかぬまま見逃し、
結局アテネ・フランセで6月あたりにやっていた『家宝』しかまだ見ていなかった。
今年で既に96歳(!!)という、ポルトガルの巨匠である。


しかしこの映画もそうなのだが、とても96歳の人間が撮っているとは思えない。
もちろんカットやショットのリズム、音響の使い方、カメラワークなど、
ひとつひとつの技術の巧みさはさすが、という感じなのだが、
それを総合し一つの映画にまとめあげてしまうやり方が、とにかく若々しいというかみずみずしいのだ。
ほとばしるような映画的感性を基調というか基底音にして映画が進んでいくから、
ほとんど何と言う事の起こらない展開でも全く飽きずに、いやむしろ身内にある種の熱狂さえ感じながら、
映画を見ていることが出来る。
そしてもちろん、その映画的視線は揺らぐことがない。
このへんは小津もそうだが、サイレント期から活動している映画作家というのは、
何故ああもゆるぎない視線を持ちうるのだろうか。
オリヴェイラの場合は、現存する唯一のサイレント期から活躍する映画作家であるだけに、
それを同時代に持ちえた我々と言うのは、まだ映画の神から見放されていない、とも感じるのだ。


しかしペドロ・コスタといいこのマノエル・デ・オリヴェイラといい、
まだ日本での一般的知名度はそんなに高くはないが、
ポルトガル映画のこのレベルの高さは眼を見張るものがある。
蓮實重彦が「今やポルトガルが映画における世界の中心である」のようなことを言ったのはおそらく間違っていないのだろう。
いまひとり、名前だけは方々で聞くもののいまだろくに上映が行われていない
ジョアン・セザール・モンテイロの映画も見てみたいものだ。彼の映画はいまだに一本さえも見た事がない。


しかし、自分がまだ映画について知らないことが多すぎるのを実感する。
学ばなければならない。と同時に、深く直観しなければならない。


映画の話が長くなってしまったが、最近とにかく音楽もよく聴いている。
CDが誕生して以来、音楽はその実用性を失い完全なる消費財となりつつあるが、
それはそれで良いのかもしれない。消費財としての音楽にも、何らかの思想や精神性は存在しうるはずだ。
最近はCDを買うことも少なくなって、神保町のジャニス(あろうことか輸入盤や限定盤・ブートレグの貸し出しまで行っている)と、
目黒区の図書館(とにかくセレクションがおかしい・・・頭の狂った人間が中枢にいるとしか思えない。
しかしその素晴らしき目黒図書館もついに音楽CDおよび漫画の新規購入を止めてしまった。嘆くべきことだ。)で、
次から次へと多量のCDを借りては聴いている。
おそらくこういう経験は今しか出来ないのだろう。


これが全て図書館で借りられるのだから驚くべき事である。
ソフトマシーンは置いてないだろう、普通。
あと、これはジャニスの方で借りたのだが、Chris Clarkは素晴らしい。その透明度。


そういえばそろそろジョアン・ジルベルトの来日公演である。楽しみだ。