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ジョン・ライドンの音楽的センスっていうのはやっぱり独特の鋭さがあって、
あるもの・対象を形造ろうとしてだんだんとそれが壊れていき
原型をとどめているんだかいないんだかわからないギリギリのところまでいって、
結果として他の誰にも真似のできない奇妙な、しかし強い主張を持った、音楽が出来上がる。
ロックの枠組みからこんな人間が出てきたことがもう信じられない。
セックス・ピストルズの言動やパフォーマンスはほとんどが
或るプロデューサーの演出によっていたというのが今はもう定説になっているけれど、
それでもやはり、人々があそこまで熱狂したのには、
芯から壊れた人間(シド・ヴィシャス)と、芯から壊れた音楽的センスを持った男(ライドン)の、
カオスなコラボレーションによるものだったのではないか。


しかし、今日グレイトフル・デッドを久しぶりに聞き直していて思ったのだけれど、
そもそも自分がテクノ・エレクトロニカフリー・ジャズ、そしてジャーマン・ロックを
きちんと聴けるようになったのは、デッドの音楽で「音の聴き方」を学んだのによるところが大きい。
カントリーの代表みたいなイメージのあるデッドとテクノなんかどう繋がるんだ、と思う人もいるかもしれないけれど、
彼らの(特にライブの時の)音の作り方、そして聴衆への聴かせ方、というのは、
深く音自身と対峙せざるを得ないようなものである。
響き、うなり、リズム、色、声。ひとつひとつの音とその連繋。
グルーヴ。
音そのものに深く耳を傾けて、そしてその中に積極的に身をたゆたわせなければならない。
そういう「音」の聴き方、というのが理解できないと、
ジャーマン・ロックなんてほとんどわけがわからない気がする。


類似性といえば、デッドのライブに集まってたヒッピー達とか、
今のレイヴでドラッグ決めてラリってる奴らと同じなんじゃないか。