penguin in bondage

  • 買った漫画


たまたま祐天寺駅で降りる機会があったので、昔よく通っていた古本屋に久しぶりに行ったのだが、
やっぱりこの界隈(中目黒−祐天寺−学芸大学周辺)の古本屋は品揃えが
「まちの古本屋さん」にしてはずいぶん良いような気がする。
トーマス・ベルンハルトの「消去」やらボルヘスの「七つの夜」を手に取りながら、
高い、しかし良い、けどどうしようか、とか色々思いを巡らせてるうちに、
ふと目に入ったのは「とらわれペンギン」。山本直樹だ。
近頃はあんまり漫画を買うことも何故かなくなってしまったのだが、
(おそらく今年に入ってから一冊も買っていない―――去年の暮れに大島弓子を色々と買いそろえたのが最後か)
中学の終わりから高校の初めにかけて、ほとんど漫画しか読んでいなかった時期があって、
山本直樹はそのころ非常に好きだった(しかも、この本は今まで色々なところで名前を聞いていながらついぞ読んだことがなかった)
ので、値段も手頃(315円)だったこともあって即買いしてしまった。


読んでみると、構成も絵もまぁ滅茶苦茶ながら、なにかしら感じさせるものがあって、
こんなものがただのエロ雑誌に掲載されていた時期があったのだと思うと、なんとも言えない思いになる。
岡崎京子なんかももとはエロ雑誌出身だ。そしてその雑誌の編集長は大塚英志だった・・・)
あとがき(というか表向きは単なるエロマンガなるものにあとがきなんか付けるのもすごいと思うが)を読むと
フランク・ザッパだの(まず「とらわれペンギン」という題名自体がザッパの曲からとられたらしい)久生十蘭だの
懐かしい名前がいろいろと出てきて、山本直樹が当時から「真面目なキチガイ」とも言うべき姿勢を
取っていたことがわかる。そう、真面目なのだ、この人は。


しかし、同世代の人間と話していて一番感じるのは、
「今、日本の若者に一番普及しているものは、紛れもなく漫画である。」ということだ。
とにかく多くの人が漫画を読んでいる。本も読まない、映画も見ない、
音楽もテレビでやっているような流行歌した聞かない、というような人が、
こと漫画に関しては時代をさかのぼって読んでいたりしているのがなんだか面白い。


それと、TSUTAYAが半額セールをやっていたので、
こちらもずいぶん久しぶりにビデオを借りた。溝口健二の「赤線地帯」だ。
西鶴一代女」や「山椒大夫」が持っていたあの神々しさは持たないものの、
それでも恐ろしいぐらいきちんと、巧妙に構成されていて、
見ていて思わず唸らされてしまう。
方法論や作り込み方が相当しっかりしているのだろう。
平田オリザの演劇のような構成を持っている、と言っても良い。ジャンルが違うが。)
まだ半額セールはやっているので、これを機会にもう何本か溝口を見てみようと思う。
(実は恥ずかしながら「山椒大夫」「雨月物語」「西鶴一代女」ぐらいしかまだ溝口は見ていなかったりする)
しかし成瀬巳喜男といいこの溝口といい、あの頃の日本の映画監督は本当に作り込み方が物凄い。
成瀬が人間そのものの方に画面の基調を置き、カットバックや人物の目線などの動きによって
心内を表現したのに対し、溝口は画面の中に人物を置き去りにする方法によって
人間と世界との対峙関係を表した、などの違いはあるにせよ、
二人の目指していたところは同じなのではないか、とも思うのだ。


しかし成瀬のたとえば「乱れる」や、この「赤線地帯」を見ていると、
ポール・トーマス・アンダーソンの存在がなんだかかすれて見えてくる。
いや、彼も奮闘しているとは思うのだけれど。


何故か今PC上でたまの「さよなら人類」がかかっているのだが、
こんなに良い曲だったのかと感心する次第。今更なんだけれど。